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広島地方裁判所 昭和31年(わ)625号 判決

被告人 増田敏郎

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、『被告人は飲酒の上、昭和三十一年十月一日午前二時過広島市舟入町甲七ノ二一特殊飲食店竜美コト深町辰雄方に赴き、無断で右辰雄の居室に這入り込み「自分は税務署の者だから帳簿を見せろ深夜でもいい局長の命令だ」等と不法な要求をなし、同人から「今夜は帰つて翌朝来て下さい」等と約三十分に亘り再三再四退去方を要求されたが応じないのでたまりかねた右辰雄が広島西警察署に電話連絡した結果、同署勤務広島県巡査森哲郎・同牛尾三郎の両名がジープでかけつけ被告人に対し右署迄任意同行を求め右深町宅前路上に停車しておいた右ジープに乗せようとするや、被告人は矢庭に右森巡査の左下腿部を一回靴履きで蹴り、更に同ジープに乗つて同行途中約百五十米前進した地点で同車が左折のため徐行したその瞬間、被告人は同ジープから飛び下り逃げようとするので両巡査が追いかけ引き止めようとしたところ、被告人は停止して「すみません」と下手に出たと思うや、矢庭に手拳で右牛尾巡査の顔面を殴打し、更に両巡査を数回に亘り足蹴する等して暴行しもつて同巡査の職務を執行するに当りこれに対して暴行し、その際該暴行に因り森巡査の左下腿部に治癒迄に約十日間を要する、又牛尾巡査の右下腿部、下口唇部に全治約十日間を要する各打撲傷を負わせたものである。』というのである。

よつて按ずるに、第四回公判調書中の証人畑野英雄・同平田忠行・同鈴木修郎の各供述記載、第五回公判調書中の証人大宗快三の供述記載、鑑定人小沼十寸穂作成の鑑定書、第五、八、十回各公判調書中の被告人の供述記載を綜合すると、被告人は本件犯行当時は勿論のこと現在でも軽度の癲癇症の異常素質を有し、本件犯行直前である昭和三十一年九月三十日午後八時頃から翌日午前一時頃までの間に広島市内の飲食店「藤平」、バー「デイリー」、バー「シヤンクシエル」、スタンドバー「のみ」、畑野英雄方において順次、清酒、洋酒、ビール、焼酎、葡萄酒等を多量に飲んだため、本件犯行当時には病的酩酊による朦朧状態に陥つたことが認められる。而して病的酩酊による朦朧状態に陥つた場合には、意識が或程度溷濁すると共に、平素の意識状態と層を異にした深層の意識状態に変じ、平素意識下乃至無意識の中に蔵されて、平素の意識下においては、道徳的抑制の下において動かなかつた意図が酩酊によつて意識が朦朧すると共に発動して行動を生じ、然もその行動はその時の状況に対応し、合目的々に言動、その時の処置等を認知し、それに対応して言動し、従つて真に被告人と日常生活を共にしているものが見ると酩酊は勿論乍ら何がしか平素と人格表出が異つてどうもおかしいと幾分不審を持つ程度であり、これを知らない第三者が見ると酩酊をしていることはわかるが、その言動は状況に対応的で合目的々であるから、それが意識溷濁し、異意識状態に陥つているということが判らない。かように考えると被告人の本件犯行当時の言動が通常の言動若くはこれに近かつたと思われたとする第三回公判調書中の証人森哲郎・同牛尾三郎の各供述記載は、被告人が本件犯行当時通常の意識状態にあつたとする証左となし難いものと言わねばならない。また被告人は司法警察員に対する供述調書において本件犯行の一部について供述するが、右供述調書の作成されたのは本件犯行当日である昭和三十一年十月一日であつて、前示認定の如き多量の飲酒をした時に近接して取調べを行つていることが認められ、更に第八回公判調書中の被告人の供述記載によれば右取調当時被告人は頭が痛く且つ眠かつたのとで朝食も昼食も摂つていなかつたこと、当日夕方市役所の係長と共に警察署から帰宅したが眠くて堪らないので直ぐ寝たことが認められる。この両事実に鑑みる時は、右被告人の司法警察員に対する供述は容易く信を措き難いと言わざるを得ない。而して右供述調書、証人森哲郎・同牛尾三郎の前記供述記載を措いて他に被告人が本件犯行当時病的酩酊の状態にあつたことを否定するような証拠は存しない。

これを要するに、被告人は、本件犯行当時飲酒による病的酩酊の状態に陥つていたものと言うべく、そうすれば被告人は本件犯行当時事物の理非善悪を弁別する能力もなく又はこの弁別に従つて行動する能力も失つていたと解するのが相当である。

以上の次第であるから結局本件は刑事訴訟法第三百三十六条の被告事件が罪とならないときに該るから、被告人に対して無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺宏)

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